死んでいった人たちに捧ぐ

 このタイミングでなぜブログを書くのか、うまいこと説明できる気はしねーが、まあ簡単に言うとだな、いまなら書くことがある気がしたんだ。

 音楽をはじめてから今年でもう16年になる。14歳の誕生日に、シンガーソングライターというソフトを買ってもらってからというものの、自分で音楽を作ることに夢中になって、それを誰かに聴いてもらいたくてたまらなかった。中学の時好きだった女の子に曲を聴かせたこともあるんだぜ、その娘はラルクが好きだつってるのにな。

 人見知りだし、他人のいい部分よりは悪い部分が拡大されて見えるってな性分だから、それからずっと何かに所属することができなかった。できたとしても端っこだった。軽音楽部の文化祭では、客が三人しかいない視聴覚室でイースタンユースのカバーをやっていたわけだし、大学では軽音に入らないでずっと一人で音楽をやっていた。ネットレーベルにも所属できなかったし、ローハイフーでの立ち位置といえば、皆さん御存知の通りだ。 がっつりと自分がなにか団体やムーブメントの一部として、一緒に盛り上がるみたいな体験をしたことがない。それにずっと憧れてるのにね。憧れてる限りは辿りつけないということなのかもしれない。

 そんなオレにも先輩と呼べるような人が、ほんとうに少ないけど、いて、今日、そのうちの一人のツイッターが無くなってることに気づいた。

 どういう経緯があってそうなったのかはわからないけど、たぶん敗けたんだろうな、と思う。このゴミみたく猥雑な世界を受け流して正気ではいられないタイプの人だったからな。ピュアだったし、誠実だった。オレとは違って。

 みんな敗けたり、挫けたり、あるいは死んだり、つまんなくなったりして、どんどんいなくなる頃合いだ。世代が移り変わるということだと思う。誰もが実感としてはそうなのかもしれないけれど、オレはいつだって上の世代と下の世代の中間にいて、どっちにも混ざることができなかった。いま、中心は下の世代になって、上の世代はあらかた死んでしまった。
 (もちろん例外はいる。例外は下の世代とつながっている人たちだ。一緒に何かをしてるってだけじゃなくて、感覚が繋がっている)

 インターネットの普及は、コミュニケーションの変革だ。コミュニケーションが変革するということは、他のコミュニケーションにまつわるすべてのことも変革せざるを得ない。良い悪いは関係なく、そうなるしかない。いま、変革は終わって、すべては変わった。だから、上の世代はみんな死んでしまった。 オレはまだやってるけど、それは正気じゃないからってだけだ。

 常に新しいことをして、新しいものとつながってないと、正気を失っていないと遊び続けることが困難だと思う。だから、死ぬまでは、こんな新しいことをしようっていう狂乱の最中に身を置いていたい。敗けてみじめだってのを受け入れるだけみんな大人になってしまった。みじめさのなかに幸福を見いだせる豊かさも手に入れたらしい。こっちはといえば、大人にだってなれないし、貧困なままだ。だから辛うじて続けている。

 とにかく、お世話になりました。せいぜい、あんたらみたいにはならないように頑張るよ。ほんとにさ。